『あったらいいな畑』へ迷い込むと厄介なのだ

時の流れに妙に疎いこの頃。

当然のように朝日が昇り、夜の帳が下りるのだが、ここ1~2週間ほどだろうか。視界に映るものたち、誰かとの会話の最中、諸々と、ふと気づけばゆったりとした時間が流れている時がある。体感的には秒針の行進よりも遅いのではないかというぐらいに。

かつての川上哲治氏(ボールが止まって見えた)ではないが、なんだろう。この感じ。

ふむ。フォースの覚醒ならぬ『覚醒』を遂げたかもしれないな。(特段、スターウォーズ・ファンではないけれど)

さて、『あったらいいな畑』へ迷い込む。そういう体験談がある方は意外に多いのではないだろうか。

もちろん、ボクも数々の体験談があるのだが、いや、油断すればそこへと持っていかれそうになる時も多々あるのだが、甘く優しくて、まるで恍惚の境地のようなゾーンだ。

この『あったらいいな』とは願望を表す言葉でもあるわけだが、ここでは違う。

その代表格は時間と権力(含む決裁権)だが、たとえば、『時間(権力)があれば、できる』というバイアスは典型だろう。

というのは、たとえそれらを持ち得たとしても『やらない』場合が多いのではないかと思うのだ。

ようするに、『時間(権力)さえあればできるのに・・・』の本質とは、やらない自分を慰める言葉としての意味合いが強いのではないだろうかと思う次第である。願望ではなく保身的に。

『あったらいいな畑』。ここへ迷い込むと、誰かを責め、つい悪者にもしたくなるかもしれない。そして、現状への不満、愚痴ばかりを口にしてしまうかもしれない。

たとえば、経営陣や上司、会社へ向けて。

けれど、そう言い続けることも、それはそれでシンドイのだよね。何にせよやらされ感満開とは大き過ぎる疲労やストレスを味わうわけで。更に、結果も成果も出にくいサイクルに嵌ったりもして。

なので、『やろうと思えること』を素直にやる。これが一番だと思うのだ。どこか楽しめて、勢いにもノッて行けそうで、心身共に調子も良さそうで。更に、満足いく結果や成果を出せたりと。(できれば、指示等にこれらエッセンスをプラスして)

ふむ。『あったらいいな畑』の本質、できうる限りの客観性を持ちつつ、明日も明後日も、その先も頑張ろう。全速力で。

構成・編集作家 佐藤琢也WEB SITE