『知らんけどな』という後付け的な言葉は、実に優れている

「知らんけどな」。

何かを言い終えた後、この言葉を付け加える関西の人は少なくない。そして、謙虚な言葉だよな。と、思ったりもする。(なら言うなよ。と、笑ってしまう時もあるのだが)

とはいえ、正確なニュアンスまでは正に知らんけどな。その辺りは未だに分からずで。


誰かや何かをdisる光景とは、日々、巷に広がっている。しかし、よくよく眺めてみれば、その本質に対するものではないものもあったりする。


常識や考え、思想的に違うだけでは的な。見ている現実が違うだけでは的な。あるいは、単にその人が嫌いなだけでは的な、というように。


ネット社会でもありがちだよね。読解力が足らないだけでは?理解した上でそう言っている?という具合に。


ようするに、不完全であり、視野狭窄的なdisりも多いのではないかと思うのだ。


「知らんけどな」。ふむ。とてつもなく謙虚ではないか。

直訳すれば「ちゃんとは知らないけれど」と、自らの不完全さ、曖昧さを認めているわけで。

disる時でさえも、そこまで全否定していないというか。どこか余白を残す優しさがあっていい感じ。愛しさも覚える一言である。