器用貧乏型よりも、マニアなコンセプトや世界を創る方が強い、の巻

総合とは、見慣れた類である。

間違ってはいないが何となく退屈な世界でもある。


さらには、他の企業、店舗、人でも網羅できる領域でもあり、生活者(お客さん)市場から眺めれば代替え可能な存在でもある。


ゆえに、そこで(それで)なければならない理由が実感しづらいわけで、価格をはじめとする比較競争にもなりやすい。リピート率にも直結するし、アマゾンをはじめとするネットにリアルは敵わなかったりもする。


これはどんなに目先を変えようと、風変りにしようと、他社(他店・他人)との差別化を図ろうとしても、基本軸を一にする話である。


ようするに、業界が右下に傾けば同様になりやすく、少子高齢化や景気といったマクロ環境と売上も正比例しやすい。さらには、資本力をはじめとするスケールメリットには敵わないという構図もできあがる。(ゆえに、苦戦する分析は容易いものがある)

一方、その対極にあるものは、絞るだ。一点集中だ。

マニアなコンセプトや世界でもあるのだが、周知の通り、思わず『へぇ』を連呼するような特別感がある。人を惹きつける力もある。

つまり、生活者(お客さん)市場にとって、そこで(それで)なければならない理由を実感しやすい存在だ。


ビジネスシーンにありがちな幻想的思考の一つに、『間口を広げさえすれば、生活者(お客さん)が沢山やって来る(買ってくれる・利用してくれる)』というものがある。


あれも、これも、やれる的な。

あれも、これも、取り揃えている的な。

あれも、これも、提供できる的な。


そう。そこには総合というウリがあるのだが、ようするに、前述の通りであり、器用貧乏的でもあるのだ。


企業、店舗、人。いずれも各々の個性がある。本当は。価値観や体験談、思想や志というバッグボーンによっても、マニアなコンセプトや世界を創り出せるほどのものがある。


もし何かしら満たされていないのなら、もっとやれるはずだという不完全燃焼感があるのならば、自社、自店、自分の棚卸作業、歴史的年表を作ってみてはいかがだろうか。


きっと、的が絞れるはずだ。さらには、人々や社会が求めたくなる市場的価値にも気づけるはずである。そう。そこには可能性と希望があるのだ。